味わえば良い





  昼夜を舎かず働き続ける羅刹などこの男くらいのものだろう。
  幹部の不足や戦のせいで多忙を極める毎日を斎藤は前以上の勤勉さで務めていた。
  紙のように白い顔で愚痴一つ零さぬ斎藤の完璧な様子は却って見る者の不安を煽る。
  火急の今は耐えて仕事に励んで貰わねばと考えている土方でさえ、流石に心配になった。
「斎藤、一度休め」
  何度目になるか分からぬ忠告にまたもお決まりの返事が返る。
「大丈夫です」
  はっきり断られてしまえば無理に休ませる程の理由もない。土方は一度引き下がり様子を見ることにしたのだが
「それで副長、この兵の配置についてですが……、ッぐ……!」
  突如、話の続きを紡ごうとしていた斎藤の口が不自然な形で止まった。
  言葉が途切れたことに驚き斎藤を見やると、彼の薄い唇が微かに戦慄いている。
  その色は肌と区別がつかない程赤みを失ってかさついていた。
「おい! どうした」
  慌てて土方は立ち上がる。畳を蹴るようにして近付くと、その間に斎藤の髪は新雪の如き白に染まってしまっていた。
  息遣いと共に揺れる白糸の隙間から真紅に光る双眸が見える。こめかみには幾つもの玉の汗が浮かんでいた。
「血が……欲しいのか」
  徒ならぬ様子に合点がいった。
  羅刹の衝動。その性質はこれまで目にしてきたからよく知っている。
  土方は反射的に置いておいた刀を取ろうとしたが、それを押し止めるように手の甲に冷たい手の平が重なった。
「斎藤?」
「必要……ありません。すぐ、に、治まります……ので」
  胸を掴み押さえて、声を振り絞るようにして斎藤が何度も首を振った。
  蒼白な顔に長い横髪がばさりと掛かり表情を覆い隠すが、は、は、と途切れることなく喉の奥から漏れ出す喘ぎと呻きが苦悶を物語っている。
  その激しい発作と必死に血を拒む仕草に、眉を顰めていた土方ははっと目を見開いた。
「お前……」
  これまではっきりと問うたことなど無かったが、斎藤が羅刹になった時期を考えると血を欲する発作はこれが初めてではない筈だ。
  が、発作を遣り過ごそうとする斎藤は、土方の前だからということとは別に何故か慣れた感じがした。それが意味することは一つだけだ。
「まさか、あんなに動いているくせに、血を飲んでねぇのか」
  思わず苛立ちが声に混じった。
  ならば発作が激しいのは当然だ。我慢に我慢を重ね血を遠ざければそれだけ無理が祟り一度の発作が激しくなる。
  血を飲めばいい問題とは言わないが、昼日中起きていて血も断つでは体が持つ筈は無い。
  たとえ今遣り過ごせてもいつその身で敵と対峙するか分からない。時勢もまた此方の味方ではないのだ。
「ちッ」
  何も答えぬ頑なな斎藤に腹が立った。
(無茶ばかりしやがる)
  無理をさせざるを得ない現状にも苛立った。
  先程は苦しむ斎藤を前に考えもせず手が動いたが、刀を取ったところで安易に己の体を斬るわけにもいかない。
  戦に僅かでも支障を来すことをすれば斎藤も本意ではないだろう。
  だから土方は尖った糸切り歯を思い切り下唇に突き立てた。柔い肉が裂けじわりと鉄の生温い味が広がったところで重なっていた斎藤の手を引っ張り、片手で頤をくっと掴む。
鼻先に来た色の無い唇にその儘吸い付いた。
「!? んっ」
  咄嗟に斎藤が体を後ろに引こうとするのを許さずに舌で拾い上げた唇の血を口内に押し込み塗っていくと、次第に斎藤の抵抗が止んだ。
  控え目に舌に舌が絡んでくる。
  薄めを開けて見れば酔ったような斎藤の恍惚とした表情が見えた。
  ぞくりと何かを刺激され一層口付けを深める。水音を立てて唾液と血液を送り込んでいるとどちらが血を飲んでいるのか分からなくなった。
  ――どのくらいそうしていただろう。
  どちらからともなく顔を離すと、血臭と名残惜しさが残った。
「もう平気か」
「はい。……副長、申し訳ありません」
  苦しげに斎藤が顔を伏せる。
  血色は良くなっていて、他の色はいつの間にか普段のものに戻っていた。
「気にすんな」
「ですが俺は、ふ」
  言い募ろうとする斎藤の声が耳の後ろで聞こえる。
「副長?」
「黙ってろ」
  互いの鼓動が響く距離で抱きしめながら、土方は肩の上にある斎藤の頭に手をやった。
「いいか斎藤、お前が今考えてることは分かる。だがお前はそれだけの働きをしてんだ。これしきのことでそんなに気に病むことはねぇ」
「しかし俺は、貴方にだけは縋りたくなかった」
「……言うなっつったろ」
  寂しいじゃねぇかと冗談めかした言葉に斎藤は何も言わない。恐らく表情も変わっていないだろう。
「いいんだよ」
  そっと髪を撫でた。
「俺の方が、お前と唇を合わせるのを気持ち良く思ってる。それだけだ」
  斎藤が驚いて体を離すのに合わせ、背に回した腕の力を抜く。斎藤の青藍の目に己を映しながら土方はすと彼の唇を人差し指でなぞった。
「また、させてくれるか」
  悪戯っぽさを含ませて覗き込んだ土方にややあって
「……はい」
  と斎藤は小さく答えた。
  初めて見る泣き笑いのような顔をしていたのが、印象的であった。