土方は抱く。
会津の密偵・斎藤一を。
「斎藤」
部屋に呼びつけた斎藤の背に腕を回しきつく抱きながら土方が耳元で熱い息を吐く。
あたかも恋情を持っているかのような色の付いた声を出すあたりは流石といったところか。
整った顔にしなやかな体躯を存分に用いるこの男に何度啼かされたろう。
昼は副長と忠実な助勤。夜は同衾の相手。
そのどちらもが本当の二人の関係とは言えない。
「お前が好きだ」
嘘を吐け。
“睦言”を斎藤は哂った。何故なら、狙いは解っているから。
会津が新選組、その前身である壬生浪士組の内情を探る為に送り込んだ密偵が斎藤一であると土方が何時知ったかを斎藤は知らない。だが時折感じる土方の探るような視線、土方と己の間に不意に生じる小さな淀みを敏感に感じ取り彼の疑心に気付いた。これまで幾多の任務をこなし、今度も完璧に新選組に溶け込んで助勤を演じていた斎藤だが、土方の妙に冴え渡る勘は真に侮れなかったということだ。
初めに体を繋げた二人きりの夜――
突如体を求めてきた土方の意図を斎藤は一瞬測りかねたが、拒む斎藤を尚組み敷こうとする土方の頑なさと情欲を孕んでいるとは思えない怜悧な顔に違和感を覚え合点がいった。
会津の手先である斎藤は土方にとって目の上の瘤である。副長として組の内情、特に芹沢派の些細な暴挙まで会津候に伝わることを彼が良く思う筈も無い。
だが長州や薩摩なら兎も角会津の間者では斎藤を殺すことは出来ず、また助勤としての斎藤の働き自体に問題は無く、浅慮な策に走るのは惜しくもあった。
ならば文字通り抱き込んだ方が早い。
(俺が土方と関係すれば会津の俺に対する信頼が揺らぐ……か)
それこそ浅慮だ。会津と斎藤の絆はそう柔いものではない。
だが会津藩お預かりの身である今の土方に他に出来ることがあるかと言えば、無い。
本意でないことでも一つでも出来ることがあるならばする。男になど興味の無い土方が敢えて自分を抱く。
その手段を選ばぬ土方の「芯」が斎藤は気に入っていた。
(まぁ、単に牽制と鬱陶しい存在への嫌がらせかもしれんが)
それでも土方の策略に乗ってやってもいいと思ってしまった。
何も口にせず万事に備え腹の中であれこれ考えているこの面倒な男の懸念を僅かでも扱い易くしてやろうという気が向いたのだ。
ついでに言えば、色男で知れる土方がどんな抱き方をするかといった微々たる興味もあった。
もし自分を芯から屈服させるなどと思い上がったことを企んでいるつもりなら逆に食ってやる。
そう思っていたのに。
「――っ」
長く唇を貪られたせいで体の奥に熱い滾りを感じ、土方の胸に手を置いて彼の体を突き離した。
「まずい」と思った刹那には体を無意識に後ろに引いていた。
あれからずっとずるずる続けてしまったこの関係が、そろそろ限界に来ている。
虚偽を伝えたことは無いが、斎藤はいつからか新選組、いや、土方に都合の悪い情報を流さなくなっていた。
有ってはならないこと。今会津に全ての真実を伝えているかと言えば、否。
(腑抜けたものだ)
斎藤の胸に苦いものが蟠っている。
(恐れ多くも会津候に信頼を頂き忠義を誓ってきたこの俺が)
組織として大きくなったとはいえ、どうと動く時代の奔流に呑まれ始めた微弱な集団を取り纏めるだけの男に心を食われかけている。
会津を決して裏切らない。けれど惹かれているのだ。
水の如く柔軟で底の見えぬ気性。かと思えば童子のように短慮でもある。漲る覇気、切れる頭。
数多の者を容易に惹きつけ同時に恐れさせる。常に策を巡らせているくせに決して近藤を超えようとしない不可解さ。情が深いのか浅いのか判らぬ所。
刀の技量ならこちらが勝るのに何故かこの男の下につくことに毛ほどの嫌悪も無く、寧ろ心地好く。
無二の存在に思え、それが明らかに危険だった。
……ずっと、解っていたこと。
(離れなければ)
胸の苦さをとろりと甘やかに変えていく土方の口付けから顔を背けて逃げ、斎藤は土方からずりずりと距離を取る。逃げる。この部屋の、障子の向こう側へ。
「逃がしゃしねェよ」
驚く程威力を持った低い声が降る。
土方の手が斎藤の頬を戻し、逃げた斎藤の体が後ろ手で障子を開く前に土方の腕が伸びトンと隙間を閉じた。
斎藤を障子際に追い詰めて閉じ込める土方の爪が、枠にぴんと張られた障子に穴を開けず跡だけを付ける。
「お前はずっと俺のものだ」
脅す、でなく言い聞かせるようにそんなことを言う土方に笑ってしまう。
(ずるずると続けてしまっただけだろう? こんな関係)
そう思うのにどうしても言葉が出て来ない。
何とも可笑しくて――――おかしい。
諦めの境地とはこういうものかと初めて知った。
「 」
逃げませんよ。
口の中で、そう。
いつかこの大きな奔流の中道を分かつ日が来るだろう。
それまでで良い。それまでは――共に。
斎藤が会津の間者だったら説。それはそれでかなり楽しい…!