ピンポーンと玄関の呼び鈴が鳴りスコールは腰を上げた。
午後八時。夕食を終えそろそろシャワーでも浴びようかと考えていた頃だった。
宅配便か何かだろう。スコールは玄関に向かいドアのロックを外す。
一人暮らしとはいえ女の子ではない、いちいち覗き穴から外を見て不審者ではないかの確認、などという手順は踏まなかった。
「はい」
来訪者の為にドアを大きく開け放ち、ついでにといった具合に相手の顔を確認する。
「……」
「こんばんは」
「……!!?」
目が丸くなるとはこういうことだったのか。
その瞬間のスコールの驚愕といったらもう目玉が飛び出る程のものだったのだが、そこは冷静なスコール、理性の力で目玉は
何とか眼窩に収まっていた。
「遅くにすみません。今日隣に越してきたストライフです。あの、これつまらない物ですが、ご挨拶にと」
そう言って差し出して来たのは白い包み。ご挨拶、ということはここは一般的に考えて引越し蕎麦だろうか。引越し蕎麦だといいな。
何気に引越し蕎麦好きなんだよな俺は。
!! などと考えている場合では無い。
「……ス」
「す?」
「ストライフ?」
「? はい」
「クラウド・ストライフ?」
「……ああ、もしかして」
要領を得ないスコールの問いに対し来訪者は何が言いたいのかを理解したらしい。少し照れくさそうに笑って言った。
「もしかして俺のこと知ってる?」
コクコク、とスコールは頷いた。こういう時スコールは自分のコミュニケーション能力の低さを嫌という程自覚する。
(コクコクじゃないだろう俺)
正直目の前にいるのが本物なのかどうか疑いたいくらい信じられないことだが、スコールの脳内にある情報から分析する限り彼はどう見て
も本物だった。
メンズファッション誌「CLOUD」の専属モデル、クラウド・ストライフ。CLOUDは十代〜二十代前半向けでトップ三に入る人気雑誌であり、
スコールも毎月ではないが購読している。
ファッション性のあるベーシックなコーディネートが多いことがこの雑誌の特徴だが、中でも毎回スコールの気に入る服を悉く着こなし
ているモデルが、このクラウドであった。
黒を基調としたクールなリアルクローズが最も似合う男であり、スコールの持つシルバーアクセサリーの多くは彼が身に着けていたものをお手本に
している。彼のスタイルを真似しているつもりはないが、結果的にスコールが最も参考にしているのはクラウドだった。
自然、憧憬に近い感情が芽生えてしまうことは否めない。
スコールはその鈍感さ故にこれまで彼への憧れを自覚したことは無かったのだが、今、彼を目の前にして猛烈に感動している自分がいるこ
とに気付いていた。
「……雑誌、いつも読んでる」
「本当に!?」
「!!」
内心の興奮を隠すようにボソリと呟けば、クラウドの顔は忽ちパアッと輝いた。
百万ドルの笑顔なんて言葉はかなり古臭い死語だが、本職のモデルの笑顔が持つ威力は、それはもう凄かった。
雑誌に載っている顔は笑顔よりアンニュイなものだったり挑戦的なものだったりとクール路線だから、余計にギャップが凄い。
(意外に人懐こい感じだ……)
心臓の鼓動を誤魔化すようにスコールは小さく咳払いをした。
「読んでくれてて嬉しいな。特にあんたみたいな人だと余計に嬉しい。有難う」
「いや……」
大袈裟にお礼を言われると何だか気恥ずかしく、スコールは下を向いた。
そういえば、まだ引越し蕎麦(多分)を受け取っていないことに気付く。
指摘した方が良いのか考えあぐねていると、クラウドの方もそれに気付いた。
「あ、そうだこれ。どうぞ」
「ああ、……どうも有難う」
あのクラウドから蕎麦(多分)を貰ってしまった。
とても食べたいが、保存しておきたい気もする。スコールが難しい顔をして悩んでいると、クラウドはまた人好きのする笑みを浮かべて
すっと手を差し出してきた。
「改めまして、クラウド・ストライフです。宜しく」
「……スコール・レオンハート。こちらこそ、宜しく」
(あ……握手……)
躊躇いがちに触れた手の平は自分のものより少し小さくほっそりしていた。
目の前には大きなブルーの眸。近くで見ると音を立てそうに長い睫がその縁を飾っている。
実物は雑誌の写真よりずっと女顔であることに気付く。
だからどうというわけでも無いのだが、異様に心臓が鳴り響いているのは一体どういう訳だろうか。
スコールは自分の手に汗が滲んでくるのを感じ、慌てて手を離した。同時にクラウドも手を引く。
「それじゃ、あんまりお引き止めしても悪いし、今日はこれで」
「……ああ」
そういえば、彼が今此処にいるのは隣室に引っ越してきたという挨拶の為だった。
(隣に?)
ということはこれからずっと彼は自分の隣の部屋に住むことになるのか、とスコールは今更ながら気付く。
このマンションは決して高級マンションというわけではなく、芸能人やら所謂セレブやらが好んで住みに来るとは思えないのだが、
彼はどうやら本当に隣に住むらしい。
「俺の部屋、今日はいないけどマネージャーも一緒に住む予定なんだ。もし会ったら多分あっちから声掛けてくると思うから、そいつのこと
も是非宜しく」
(マネージャー……)
モデルにもマネージャーっているのか、とスコールは感心しつつ頷いた。
「ああ、分かった」
「……ところで」
クラウドは不意にじっとスコールを見つめた。
スコールの顔に何かを見つけた時のように、これまでと違うやや真剣な表情をしてスコールを見つめてくる。
「な……何だ?」
物凄く物言いたげな真っ直ぐな視線(しかも相手はプロのモデルだ)を受ければ誰だって戸惑うだろう。
(俺の顔に何か付いてるのか?)
スコールは思わずといったように自分の顔をペタペタと触った。
その仕草を見て、今度はクラウドが慌てたようにスコールを止める。
「あ、ごめんごめん! 違う違う、何か付いてるとかそういうことじゃないんだ。ただ……」
そこまで言いかけると、クラウドは顎に手を当てて少し考えるような素振りを見せ、そして「また今度にしよ」と呟いた。
「何でも無いから気にしないで。それじゃ、俺そろそろ帰るよ。……またな、スコール」
そう言ってクラウドは軽く会釈すると、スコールを凝視していた時の引き締めた顔をまた穏やかに緩ませて手を振った。
「……ああ、また」
キイ、パタン
「…………」
クラウドの去った玄関に一人、スコールは無言で立っていた。
「…………」
(今、いたのクラウド……だよな)
ほんの十数秒前のことであるが、思い返すとかなり不思議な気分になってきた。
芸能人だからどうとか会ったらどうかとかこれまで考えたことなど無かったけれど、考えてみればいつも雑誌でしか見たことの
無かった人間を間近で見て会話するというのは不思議なものだ。
しかも最後に“スコール”と名前まで呼ばれた。思い返せば結構馴れ馴れしかった。芸能人といえば一般人には壁を作り作り笑いだけで
世渡りしている人形のようなイメージがあったのだが、あのクラウドは決してそうではなかった。
そういえばスコールが何故CLOUDで最もクラウドに目を引かれたのかというと、勿論着こなしや雰囲気が気に入ったのもあるが、それだけ
でなく生身の人間の生きた感情を他の誰よりも真っ直ぐに表現しているような気がしたからだ。
そしてさっき見た実物のクラウドの表情も、誰よりも魅力的だった。
「………」
スコールは両手に持ったクラウドからの贈り物をじっと見つめる。
これがさっきまでクラウドと話していたという何よりの証なのだ。そう思うとまた心臓がそわそわしてきた。
「これじゃまるで熱烈なファンじゃないか……」
ただ雑誌を読んでいて、その中で一番気に入っているモデル、というだけの話だった筈なのだが。
これが芸能人オーラにやられるということなのだろうか。
(……取り敢えず……蕎麦を食おう)
これで蕎麦を食べずに取っておいたらますます変なファンになってしまうような気がして、スコールは取り敢えず蕎麦を食べてしまうこと
にする。ふらりとキッチンに行きクラウドに貰った包みを開くと、期待通り、中身は引越し蕎麦だった。
「またな……か」
“またなスコール”
そう言っていたけれど、隣に住むらしいけれど、果たして本当にまた話せるのだろうか。
そわそわと落ち着かない高揚感を胸に感じながら、スコールは夕飯を既に食べたことも忘れ、蕎麦を茹でるべく鍋に水を入れた。
調理しようとして手(クラウドと握手済み)洗っちゃって後悔してたら最高にミーハーなスコールの出来上がり。