「――――いい加減にしろって!」
近藤と共に試衛館に戻った土方を迎えたのは、明らかに焦りを含んだ永倉の怒号と激しい打ち合いの音、それに殺伐とした空気だった。
ただならぬ道場の様子に一瞬近藤と土方は顔を見合わせ、次には下駄を捨てるようにして慌てて中へと上がる。
「おい、こりゃ一体何の騒ぎだ?」
廊下から声を投げ付けると、道場に着くと同時に平助の甲高い声が返ってきた。
「近藤さん土方さん! 大変だ、総司が道場破りと戦ってて――!」
道場破り、と平助は言ったが、土方の目に飛び込んで来たのはそんな生易しい光景ではない。
面、篭手を着けず竹刀でなく木刀での打ち合い。審判であろう永倉の制止も聞かず、総司と何者かが凄まじい気迫を放って一心不乱に
木刀を振るう様はまるで果し合いだ。
間違えれば死人が出る。土方の判断は早かった。
「おい、新八、平助! 総司を押さえつけろ! 左之助はそっちの奴だ!」
指示を飛ばし半ば呆然と突っ立っていた左之助達がはっと動き出すのを認めながら土方も走る。
木刀と木刀がぶつかる瞬間を見計らい道場破りらしき男に飛び掛かった。
背後から右腕を脇に差し入れ肩を固め、左腕で木刀を持つ手を押さえ込む。反射的にか男は思わぬ力で抗おうとしたが、左之がすかさず
木刀を払った。カン、と小気味好い音でそれが床に落ちるのと、暴れていた総司がうつ伏せに取り押さえられたのは殆ど同時だった。
嵐のような二人の動きを一先ず封じ皆が溜息を落とす中、其処に水を差したのは総司の高い笑い声だ。
「あははははっ……! 残念だなぁ。初めて人を殺せると思ったのに」
「何言ってやがんだ。試合で死人なんて出しちまったらますます入門者が来なくなるだろうが」
(こいつは近藤さん近藤さんと慕っているくせにどうしてそういう配慮が欠けてるんだ)
土方は苦虫を噛み潰したような顔で総司を睨んでから、自分が押さえている男の顔を覗き込む。と、無言で小さく息を切らしながらじっと
総司の方を見据えていた男が顔を上げ、二人の視線が間近で合った。
若い男だ。総司と同じか、少し下か。打ち合いの名残でこめかみに汗を滴らせているが、目は春の風のように澄んだ涼やかな容貌をしてい
る。
その眸から既に殺気が失せているのを見て、土方はそっと体を離し彼を解放してやった。
男の手首に痣を見つけたので総司を見てみると、彼の方も幾度か打たれたのか脇腹を押さえている。
木刀で総司と互角の戦いをした道場破りなど初めてだった。
「平助、手当ての道具を持って来い」
自ら道具を持参しようとした近藤を止めてその役を平助に任せると、近藤は居心地悪そうに大きな体で身動ぎしてから道場破りの男
へ気さくな笑顔を向ける。
「なかなかの剣筋をしているな。名は何と言う?」
その言葉に男は形の良い眉をぴくりと動かしはっきりと戸惑いを滲ませた表情で口を開いた。それは近藤の問いへの返事ではなかった。
「……俺は左構えですが、そのことはお気になさらぬのですか」
面差しによく似合う、高くも低くもない涼やかな声だった。土方は彼をじっと見てみる。淡々とした少ない言葉が何を内包しているのか探る。
近藤は答える。ただ、左利きの人間は器用なのだなと、それだけを。
決して他意も無く純粋に腕を褒めただけの近藤に対しますます信じられないといった顔をしたこの剣客を見て、土方は悟った。と同時に
呆れてしまう。無論この剣客にではない。左利きらしいこの男に負け無様にも左構えを罵ったであろうこれまでの全ての者に、だ。
は、と土方はせせら笑った。
「他所の道場じゃそんなことを言うもんなのか? 右構えだろうが左構えだろうが勝ちは勝ちだろうが。負け惜しみってのはみっともねぇな」
平助の持って来た薬を塗ってやろうと男の手首を取り持ち上げる。制止の時も思ったが、華奢だ。無駄の無い体とはこういうものを言う。
「……かたじけない」
薬の礼だろう、男がぽつりと呟くと、同じように平助に薬を塗られていた総司は面白いものを見つけた猫のような顔をして身を乗り出した。
「ねェ君、名前は?」
先程の近藤の問いを総司が繰り返す。
「おっ前随分強いよなぁ!」
「何処の流派だ?」
「一刀流じゃねーよなぁ。道場は?」
総司に続くように永倉、左之助、平助も口々に男への興味を表す。かなり珍しいことだった。
土方もまた頭の中に何か予感めいたものが走るのを感じる。
(こいつは面白い奴だ)
これから長く共に過ごすことさえ感じた。こういった勘は土方特有のもので、更にこれは野性染みて外れたことが無い。
にやりと唇に笑みを刻みこの珍客の名を得られるのを待った。
やがて彼は、口唇を開く。
「―――――斎藤一」
その剣客、斎藤の声もまた何かを得たように凛と高らかに響くのを土方は聞いた。
暑い夏の日の、午後のことである。
ビズログの試衛館小説設定台詞お借りして。土方から見た斎藤との出会い。
史実ではこの頃は山口一だったみたいだし生涯何度も戒名する斎藤さんだけど、やっぱり斎藤一が一番しっくりきます。