1)渡り廊下ですれ違う瞬間
前方から来る姿に直ぐに気付いた。
制服の無い教師であることと無関係にその人は目立つ。
上着のポケットに手を入れて歩きながらその視線は他所に向けられていた。
此方には気付いていないのか。
もう少し近づけば気付くだろうかと距離を縮めていく。
短い渡り廊下の真ん中ですれ違う時軽く頭を下げた。
会釈。
校内で教師と生徒が取る自然な行動は、だがそれだけの薄い関係しか示さない。
頭を上げた瞬間チャリと何かがポケットで鳴った。
「!」
その音に覚えがありはっと振り向く。
鍵を、ポケットに入れられたのだ。
既にすれ違い背を向けていた彼は、首だけで振り向いて唇を弧にした。
悪戯に成功したような、それでいて大人の笑みで彼は
「今日は部屋で待ってろ」
密やかに囁いた。
2)友達の輪の中で笑う笑顔
人の輪の中心に居るのは何も賑やかな人だけとは限らない。
無駄な喋りをしない彼が人に囲まれるのは優しいからだと思う。
涼しげな外見で風紀委員をやるようなお堅い人種なのに、纏う空気だけはいつも暖かい。
馬鹿をする人間も嫌いではないようで、意外とよく笑って、何処か見守るような優しい目をして笑う表情に、
惹かれ始めたのはいつのことだったろう。
「……じ、……総司?」
「……んー? なに、一君」
「ぼうっとしてどうした。具合でも悪いのか?」
輪の中から抜け出して、机でだれていた僕の顔を覗き込んでくれる彼は、見つめる視線になど全く気付いていなかったのだろう。
ただ心配そうな顔をしていた。
それが少しつまらないような、嬉しいような気持ちで。
「好きだなぁ」
うっかり呟いてみても、「何が?」なんて返してくれる彼が、やっぱりとても好きなのだ。
3)音楽室から目で追う背中
音楽の授業が終わり席を立った瞬間、誰かが開けたドアの先に土方先生の姿が見えた。
廊下で数人の生徒に囲まれて何かを話している。というよりは一方的に話し掛けられているという感じだ。
特に珍しくもない光景。
容貌だけでなく人を惹きつける力の有る彼は生徒にも同僚の教師にも変わらずに好かれている。
分かりきっていることなのにこんな時少しだけ胸がざわつく。
狭量な心だ。想う人が誰かと親しげにしているだけで気に入らないなんて。
目を逸らしてしまいたいのに目を離せない程好きなのもどうしようもない。
彼の背を目で追ってしまってから、どうしようもない自分に溜息を吐いた。
4)階段の踊り場で重なる視線
急いで階段を降り始めて数段目で足を滑らせた。
そのことに気付いたのは既に体が宙に浮いた後で。
傾いていく景色の中、体勢を立て直し受身を取ろうと試みたが上手く行くかは分からなかった。
「斎藤!」
聞き慣れた声が俺の名を叫んだのはその時だ。
それが誰かを認識する前に、俺の体は重い衝撃と共に何かにぶつかった。
床か階段のコンクリか。しかしそんな硬い衝撃ではなく、痛みは不思議な程に感じない。
その理由はすぐに分かった。
眼前に広がる白いシャツと藍色のネクタイ。人間の胸部。
「土方……先生……」
思わず相手の名を呼ぶと、彼は安堵したように大きな溜息を吐いた。
「おっ前、今のは結構ヤバかっただろ……」
「受身は多分、取ったのですが」
「あのなぁ、運動神経良くたって怪我するもんはするんだよ。気を付けろ」
「はい……。すみません」
至極尤もな叱責を受けて項垂れる。
よりによってこの人にみっともないところを見られ、あまつさえ迷惑を掛けてしまった。
「先生は怪我などされていませんか?」
「ん……ああ大丈夫だ。お前こそ平気か?」
「はい俺は、先生に助けて頂いたので。ご迷惑をお掛けしてしまい……」
正直に言えば直ぐにこの場を離れたかった。
みっともない。申し訳無い。
自分の不注意を心中で罵りながら彼から体を離そうとすると
「迷惑じゃねぇ」
少し怒ったような、けれど優しい声音が降って来た。
離そうとした体をぎゅっと抱き締められて思わず顔を上げれば
「お前が無事ならいいんだよ」
驚く程綺麗に真っ直ぐに、視線が重なった。
5)用もないのに居残る教室
昼にざわざわと騒がしかった教室が、夕日の照るこの時間にはしんと静まり返る。
代わりに校庭から聞こえてくる喧騒を遠くに聞きながらすっとあの人の机を撫でた。
席の主はもう既に学校を出て帰宅しただろうか。それとも彼の想い人とでも一緒にいるのだろうか。
どちらにしても彼は僕の傍にいないのだと、こんな静かな部屋に一人きりでは思い知らされる。
――早く帰ろうと思った。
また明日になれば彼に会える。友人として親しげに声を掛ければ彼はそれに応えてくれる。
教師と生徒ではなれない関係があれば、その一部分だけとは言えど僕はあの男に勝てるのだ。
決して、昼間階段の踊り場で抱き合っていたあの二人のようにはなれなくても。
(片恋ほど寂しいものはないよね)
一君、ともう一度机を指でなぞってから、僕は教室を後にした。
学校で5題 Fin.
配布元 かたつむり 様