鬼と花見る





「花見か」
  蝦夷の大樹の桜の下、花弁がちらほら舞う中にぼうと立っていた斎藤に背後から声を掛ける者がある。
  独特の低音、神出鬼没で感じ辛い気配。
  何故この男が此処にいるのかと思いはしたが殺気を微塵も感じない。
  それならば然して重要なことでもなく、 この場の静謐さを壊さずにいてくれるならば鬼であれ妖であれ好きにすれば良い。
  斎藤の視線が背後に向けられたのはほんの刹那のことで、直ぐに大木を飾る数多の薄桃色の花へと戻った。 そうか俺は花見をしていたのかとその時初めて気付いて、待たせていた風間の問いにのろのろと答える。
「ああ」
「美しい桜の下には人の骸が埋まっている。人間の流す話にそんなものがあったな」
  確かにそんな話がある。
  桜は地中の骸を吸って美しく咲くのだと。
(この地で倒れたあの人の亡骸は見つかっていない)
「薄桜鬼」
「?」
「あの男が生きていたならば俺が与えてやったであろう鬼の名だ」
「……美しいな」
  斎藤の口から自然と零れ出た言葉に風間の方が意外な顔をした。
「鬼の名など要らぬとでも言うかと思っていたが。主を失くした犬は牙まで抜かれたか?」
「美しくあの人に似合う名と思った故そう言った。それにあんたは鬼の頭領」
  挑発的な物言いにも淡々と返す斎藤に、風間は黙って言葉の続きを待つ。
「鬼とはいえ高い格を持つ者が自ら名を与える――それだけの価値有る人だった、あの人は」
(世は敗者の誠を消し去り偽りで塗り固める)
「多くの者が俺達を嫌悪し忘れていく。それでも良い。時折お前のような者や――この桜を見て偲ぶ者があれば、 俺達は消えない」
「それがあの男の望みか」
「或いは俺の。あの人の生きた道を覚えていて欲しい。……覚えていたい」
  落ちて来た桜を一片受けて掌に包み込んだ。
  記憶の欠片に触れたように
『斎藤――』
  何度も呼んでくれていたあの人の声が。その顔が在りし日の儘に斎藤の脳裏に呼び起こされる。
  花の下で想い馳せる斎藤に風間はまた問う。
「全てが終わり新たな世が来た。……お前はこれからどうするつもりだ?」
「そんなことは決まっている」
  斎藤はふと霞のような笑みを見せた。
「生きる」
  敗者として生き残る行く末は決して明るくはない。今此の地に立っていることすら奇跡なのだろう。
  だが生きてさえいれば何一つ忘れることは無い。
  さあと風が吹く。
  その風が運ぶものが『負けんじゃねえぞ』と土方の声で斎藤に告げたのを風間は聞いた。
「また会うこともあるだろう」
  風間は去り際にそう残した。
  それが風間との再会を言っているのか否かを斎藤は判りかねたが、それでも頷くように目を閉じた。
  去っていく鬼と残された人と、一本の桜一つ。
  生でしか繋げないこの点は、今はまだばらばらの儘で。
  いつかまた線になる。