己の酒への弱さを知っている土方が泥のように酔うことなど滅多に無いが、全く無いと言えば嘘になる。
まさに今宵はその稀な方に当てはまったらしく、斎藤は酒宴の後土方の介抱の為に廓の一室を借りた。
が、そこで押し倒されたことは斎藤にとって全く予測出来ない事態だった。
土方はよろけただけで他意は無いのだと思えたのは初めの束の間で、直ぐに酒で潤んだ彼の目に男の情欲が灯っていることに気付く。
「斎藤……」
土方とはかつて一度だけ体を繋げたことがあるが、何を伝え合うでもない、一体どういう運びでそうなったのかも覚えていないようなほんの一夜の契りであった。
偶々土方の気が向いて、拒むには斎藤の土方への嫌悪が無さ過ぎて。――そう、丁度今に似た状況だったのだ。
「土方さん」
斎藤は無意識に拒絶の声を出す。つい流されてしまったあの時と違い、此処は郭なのだ。偽りが満ち女が男に抱かれる城で何故特別な意味
も無く男が抱かれねばならない。抵抗が生じるのは当然だろう。然し土方は斎藤の上から退こうとしなかった。
「好きだ」
耳元で熱い酒気と共に不意に囁かれ、斎藤の心が大きく揺れる。それを決して表には出すまいと抑え込み斎藤は必死に取り繕った。
「馬鹿なことを」
被さる土方の肩に手を置きそっと押し返す。胸が苦しかった。
「酔っておられるからだ」
土方は酔っている。醜態を見せることを嫌う彼が顔を真っ赤に染めてふらつく程に。
それでも彼の強靱な理性は恐らく全て消えてはいまい。土方というのはそういう人で、今この時自分が何を言っているかも
頭の隅では分かっている筈だ。
(本心ではないでしょう?)
酔って口にしたそれが本心とは限らない。
彼の身体が今目前の人間を欲しているのは確かで、この場で吐き出される言葉はその欲求を満たす為の手段に過ぎないと斎藤は思う。
どんな状況をも利用して事を己の思うように進めるのが土方だ。例えば抱く為に嘘を吐く、その打算的で狡猾な所は斎藤が敬う
彼の性質の一つだが。
「俺は……女じゃない。甘言は要らない」
俺を抱きたいのならただ一言そう言えばいい。
斎藤はすっと視線を外した。好きと言われて惑わされ苦しくなる、その意味を考えてはいけない気がした。
こんな場所は嫌だと思っていても、土方相手だと結局押し切られて許してしまう、その意味を。
「俺の言葉が信じられねぇか」
甘言を戯れ言と見なし信じる気の無い斎藤を、土方は酔っぱらい独特の大仰な仕草で笑った。
「酔っていますから」
「酔ってねぇ」
「酔ってます」
「酔ってねぇっ」
まるで駄々をこねる子供のよう。
平常時がしっかりした人物なだけに落差が激しかった。蟒蛇の斎藤には何処をどうすればここまで酔うことが出来るのか不思議でならな
いが、それを口には出すまい。斎藤は溜息を吐いた。
「俺を困らせないで下さい」
眉を下げ土方に懇願する。
「あんたの言葉は……どんな些細なものだって俺には重いんです。戯れだとしても偽りなど口にして欲しくはない……」
彼に都合の良い嘘を吐かれることが無性に寂しかった。偽りで惑わさずとも、彼が望むならばこの身など幾らでも差し出すというのに。
言い終えて目を伏せた斎藤を見つめていた土方がぽつりと言った。
「……俺だって参ってる」
「え?」
赤ら顔の土方。その視線が強い熱を孕んでいる。
「どうしてお前なんだろうなぁ。お前は男で、新選組の仲間だってぇのに……。何だってこんなにお前のことばかり考えちまうのか、
自分でもさっぱり分からねぇんだよ」
「!」
「こんなの知らなけりゃ、迷ったりしなかったんだろうなぁ。こういう好きだって、気持ちってーのは」
土方は些か呂律が回っていないが、そんなことが気にならない程に、斎藤はその言葉に揺さぶられていた。
本心なのだろうかと疑う思いが急激に霧散していく。
本心だとしたら。
「……ほんとう……ですか」
胸が熱くなり言葉が零れ落ちた。
土方が組み敷いた儘の斎藤をじっと見つめる。
「……ああ。本当、だ」
斎藤もまた恐る恐る土方と目を合わせ、瞳の奥にある真偽を探った。どんな者も目だけは嘘を吐かないと、そう斎藤は信じていたから。
紫の眸の奥に、曇り無く真を告げる痛いくらい真っ直ぐな土方の熱を感じる。最後に残った僅かな疑念が、弾けた。
(おかしい、俺は)
彼の瞳に真を見たと確信した瞬間、斎藤は己の頬がかっと熱く火照るのを感じた。
心の臓が早鐘のように打っている。酒を飲んで直ぐに湯に浸かった時でさえ、こんな風に激しく鳴ったことはない。
そうして、やっと気付く。気付いてはいけなかったこと、その意味を。
(俺はこの人に心から好きだと……言われたかった?)
女ではないのに、副長なのに、と斎藤の頭を混乱が駆け巡った。酒になど全く酔っていないのに、まるでぐらぐらと酔っているようだった。
「土方さん」
堪らなくなり斎藤は土方の背に腕を回した。きゅっと衣を掴んで自ら彼との距離を詰める。肌を合わせたい。この人が欲しいと奇妙なくらい全身が昴っていく。
「斎藤」
土方が掠れた声で斎藤を呼んだ。
「はい」
(嗚呼、気付いてしまった)
初めて抱かれた時に拒まなかったのは、彼が好きだったからだ。
今拒めないのは、彼が好きだと言ってくれるから。
郭であろうと何処であろうと、一度想いに気付いてしまえば拒めない。それ程に土方の言葉は斎藤にとって強い。
土方の秀麗な顔が近付いてくる。目を離せずに斎藤は形の良い彼の唇を待った。
やがて土方の唇が斎藤のそれへと重なって想いを伝え出す。
「お前が好きだ」
舌から香る酒の味が土方そのもののように感じられて、夢中でそれに応えながら
「俺も、です」
気付いたばかりの想いを伝えた。
土方をもっとべろんべろんにしたかった。