試心





「斎藤君、行っちゃいましたね」
  御陵衛士として伊東と共に斎藤が離脱してから数日の後。
  用も無いのに副長室を訪れた総司がだらだらと寛いでいたかと思えば突如そんなことを零した。
  したためていた書状から目を離し振り向くと、総司は天井を仰ぐような格好をして視線だけをこちらに寄越している。
「ねぇ土方さん」
「何だ」
  総司はそこで声を落とし、何が愉しいのか笑みを滲ませながら囁くように言った。
「もし――斎藤君があっちで伊東さんに懐柔されちゃったらどうします?」
「……」
  土方が微かに目を瞠る。
  それは間者を送り込む上で必ず憂慮すべきことではあった。
  間者にする者の資質には二つ条件がある。
  一つは間諜の任務を確実に遂行出来る能力があること。身体的なことに加え 頭の回転の速さや危険を察する勘の良さが要る。そしてもう一つは、此方を決して裏切らない信頼に足る人物であること。
  二重間者程恐れるべきものは無い。
  此度の件で言えば、御陵衛士に潜り込ませた間者、斎藤が伊東に寝返って新選組に偽りの情報を流すことだけはあってはならない。 当然それを踏まえて土方は人を選んだ。
  だから今見せたほんの僅かの揺れは、それが総司の口から出たことに対するものだ。直ぐに総司の意図に気付き土方は表情を戻す。総司は試しているのだ。
「決まってんだろ」
  一言。
「斬る」
  迷い無く。
「誰であろうと新選組の敵になるようならば斬る。それが誰であっても、だ」
  具体的にどう対策するかでなくかなり抽象的な答えだが、総司が聞いているのは恐らくこういうことだった。
「ふぅん」
  総司の顔から表情が消える。
「じゃあその時は僕にやらせて下さいね。あの人程の腕だと、僕じゃなきゃ仕留められないでしょうから」
  相変わらずの冗談か本気か分からない言葉だが、自分で話を持ち掛けたくせにむっとしたようだった。
「ああ、いいだろう」
  その反応が予想通りと言えば予想通りで土方は唇で弧を描く。
「ま」
  今は遠い斎藤の顔を脳裏に浮かべる。義に厚く大抵のことを任せられるあの男を無条件で信頼していた。力も思考も必要が無ければ内包する斎藤は読めない男と言えばそうで、敵になったら恐ろしいのは確か。 だが敵になった姿を想像したことは一度も無かった。
  だから
「必要ねぇけどな」
  余裕綽々の笑みで返してやった。
  斎藤を使った理由には納得していても、その事実を総司が気に入らないと思っていることは土方にも分かっている。
  間者の件は総司に知らせていなかった。総司は勝手に気付いて、望みもせぬのに明らかに危険な隊務に斎藤を充てた土方の心を 知りたがっている。組織の為に手段を選ばぬ鬼の副長ではなく、土方の心を。
「――あいつが帰る場所は決まってる」
  そうだろ? と問えば今度は総司が驚いた顔をした。そうして天井を見上げ、そのもっと彼方を見つめている。
  土方と総司がそれぞれ頭に浮かべた“帰る場所”は異なっていたかも知れないが
「……そうですね」
  結局総司は土方の斎藤に寄せる信頼に己を納得させたようだった。









帰る場所→土方は「新選組/俺のところ」を想像、総司は「新選組/僕のところ」って認識。