寒月の浮かぶ夜、スコールは殺風景なコンクリートブロックのような古いアパートの一室を訪れた。
もう何度目になるか分からない訪問。本来なら“獏”は同じ場所を二度と訪れないのだが、スコールはこと此処に於いてのみ違っていた。
スコールは獏だ。眠る人間の見る夢を喰い、それを糧に生きる生物。人間達は獏の姿を熊だの虎だのの特徴が混じる獣か何かと想像しているようだが、彼らは本物を知らない。
実際のスコールは非常に人間に近い容姿をしていた。
「………」
そっと歩を進め、スコールは自分と似た姿の、だが全くの異種族である人間へと近付く。
「…っう……ぅ」
いつものようにベッドの上でうなされている若い男。
スコールが初めてこの部屋を訪れた日も、彼はこうして額に玉のような汗を浮かべながらうなされていた。
「クラウド……」
スコールが初めて憶えた人間の名であり、この青年の名前である。
「今夜も“あの”夢を見ているんだな」
「―――ざ、」
答えるようにクラウドの唇が一つの名を紡ぐ。
「ザックス」
スコールは額に張り付くクラウドのしっとりした前髪を払ってやりながら目を閉じた。こうすることで彼の夢をとてもよく感じることが出来る。
―――クラウド・ストライフには親友がいた。
雲一つ無い空のように陽気で、苦境を強いられても尚力を失くさない強靱な男だ。
彼の夢に必ず登場するこの男はいつも笑っている。優しく、快活に力強く、時に不敵に。
けれどクラウドの夢の中、晴れやかだった青空は一瞬で鉛のように濁るのだ。
男の体は重さを忘れたように弾き飛ばされ赤を噴き出しながら仰向けに倒れる。土を叩きつける雨が容赦無く男に注がれ、それが鋭利なナイフとなって全身の傷を抉り穴という穴から血液を掻き出した。
男の体温と共に地を汚す赤を押し出していく。それは静かに確実に男を死へと運ぶ。引き留める少年の絶叫すら消し去って――。
「ザック、……ス」
クラウドが再びザックスの名を呼ぶ。
そうして彼は、ごめん、ごめん、と繰り返し続けるのだ。
幾度も、幾夜も、幾日も。
悲劇から数年が経っているようで、現実のクラウドの体は少年から成長していた。
けれど彼の心は止まった儘なのだ。夢の中で何度もループするザックスの死が釘のように彼の心に突き刺さっている。
それを知った時から、スコールはクラウドから離れられなくなった。
「クラウド」
身を屈め眠るクラウドの額に口付ける。
彼から夢を吸い取る時スコールはいつもこうしていた。体に流れ込むクラウドの夢は酷く不味い。
他にも炎巻く故郷や銀髪の狂気の夢をクラウドから喰ったことがあるが、ザックス程苦い夢は無かった。
獏は良夢を好み悪夢を嫌う。前例など無いから真偽は不明だが、悪夢ばかり喰い続ければ獏の命は縮むと言う。
それでもクラウドの夢を喰らうことを止めはしない。
初めは只、その美しい顔が苦痛に歪むのを見て、獏らしくもなく楽にしてやりたいと願ったからだった。
それが異なる目的へと変化したのはいつの日だったろう。
獏は同じ人間から同じ夢を何度も喰い続ければ、覚醒時の人間の記憶にすら影響を与えられる。
つまり、この夢をスコールが喰い続けることでクラウドはザックスを忘れるのだ。
「う! ッうう……!」
吸い取られていく夢に呼応してクラウドの喘ぎが音を増す。
(どうして)
スコールは激しく動揺した。
本当ならば悪夢が無くなっていくにつれて人間の苦しみは軽減される筈だ。別の人間で実験したこともあるからそれには確信がある。
なのにクラウドは、まるで忘れることを恐れ拒むように藻掻くのだ。
つとクラウドの米噛みを涙が一筋伝い、スコールの胸が軋む。
「何故そうまでして苦しむんだ、クラウド」
ザックスを忘れないクラウドが痛い。
クラウドを苦しめるザックスが憎い。
ザックスを消そうとしてクラウドを苦しめる自分が――
スコールは頭を振った。
(違う)
自分は獏なのだと言い聞かせた。
夢を喰って生きる者が夢を喰うことを躊躇する方がおかしいのだ。罪悪感など感じるのは間違っている。
絶対に。
「絶対に消してやる」
いつの日か、クラウドがザックスの名前も存在すら思い出せぬ程に。
(俺が消してやるから、クラウド……)
「もう、苦しまないでくれ」
切なく眉を寄せてスコールはクラウドに口付けた。
(人に焦がれる哀れな獏に、眠る人は気付かない)