すっす、と総司の櫛が髪を梳るのに身を任せ、斎藤はちらりと背後の男に目をやった。
「総司、まだ終わらんのか」
「んーもうすぐ。もう少しだけ待っててね、一君」
やけに楽しそうな声が返ってくる。
縁側で暇そうに大欠伸をしていたこの男に声を掛けたのが始まりだった。
一君の髪っていつも横に垂れてるんだよね、と唐突に呟いたかと思えば素早い動きで斎藤の結い紐は奪い取られていた。
緩く束ねていた髪が肩から背へと流れ落ち斎藤の顔に些かの不満が浮かぶ。
これが突然抜刀されたとかならば即座に反応出来たのだが、こういう総司の突拍子も無い悪戯には反撃出来た試しが無い。
それが少し悔しいのだ。
「何のつもりだ」
咎める声にも笑顔で、総司は何処からか櫛を取り出して斎藤の髪に当てた。
「たまには違う風に結ってみようよ。僕がやってあげるから。……そうだなぁ、土方さんみたいに高く結っても似合うんじゃない?」
「副長のように? 何故そんな必要がある」
「必要は無いけど、好きな人の髪型なら真似したいじゃない」
「好きな人……」
あっさりと言われて口篭もる。
副長のことは無論好きなのだが、男同士のことをそうはっきり言われると妙な感じがする。
それに好きだから髪を真似したいかと訊かれれば別にそんなことは無いだろう。
「そうか?」
「そうだよ」
と、納得はしていないが、こうしたやりとりの末に今斎藤は総司の手に己の髪を委ねているという訳だ。
「……一君の髪って綺麗だねぇ」
「男が髪を褒められても嬉しくはない」
「何だか土方さんなんかの髪型にするのが勿体なくなってきたよ」
ならば止めればいいだろうと斎藤は言おうとしたのだが、
「っと、動かないで。もう少し……、はい! 出来たよ一君」
折良く総司の髪遊びが終了したらしい。ぱっと後頭部から両手が離され、固定されていた斎藤の頭が自由になった。
「やはり、馴染まんな」
総司の結い方が悪いわけではない。ただ、斎藤はどうもこの頭を引っ張られる感じが苦手なのだ。いつも下方で髪を束ねているのはその為だったりする。
「いいじゃない、似合うよ一君。特にこうすると……」
総司は斎藤の頭頂部近くから垂れ下がった長い髪を、束の根本を指で挟んでゆらゆらと左右に揺さぶってみる。
「あははっ可愛い。ますます犬っぽいね!」
後頭部で揺れる束がまるで犬が振る尻尾のようだ。
忠義に厚い忠犬のような斎藤だからこそそう見えてしまうのが可笑しくて総司はころころと笑った。
「お手」
「……総司、人を犬扱いするのはよせとあれ程……」
悪びれもせずお手を要求してくる総司に今すぐ斬りかからんとばかりの視線を返した斎藤は、だが突如掛けられた声に言葉を途切れさせた。
「総司に斎藤、何やってんだ? おまえら」
「おや、土方さん」
副長の土方が偶々通り掛かり、片手を差し出している総司とその前で思い切り眉を顰めている斎藤の図に目を留めたのだ。
直ぐに土方は常と異なる斎藤の頭に気付き、ぴたりと足を止めて斎藤をじろじろと無遠慮に見た。
「あの、副長、これはその」
髪を土方と同じにすると先程総司が言ったせいで意識してしまう。居心地の悪さを感じ斎藤が弁解しようとすると
「髪を変えるだけで雰囲気が違うもんだな」
顎に手を当てて土方がしみじみと言った。
「犬」
斎藤はかあっと頬を染めた。
総司なら兎も角土方にそんな風に言われたことは無い。これを恥と言わず何と言う。
激しく衝撃を受けたような斎藤を慮って土方が付け足した。
「あー、いや斎藤、別に悪い意味じゃねぇぞ? 犬みたいな可愛さが出ていいんじゃねぇかってことだ」
「……そうですか」
「そんな顔すんな、忠節あるお前に似合ってるぜ。俺と揃いだしな」
未だ釈然としない斎藤の頭にぽんと土方の手が置かれる。
その儘軽く撫でられて、斎藤は何とも言えぬ心地好さを感じた。
「……副長」
釈然としない、筈だったのだが、胸中にあった恥がほわりとした胸の温かさに取って代わられていく。
自分は断じて犬ではないが、人に頭を撫でられた時の犬はこんな気持ちなのだろうかと思った。
「ぱたぱたぱたぱたー。はじめケンが尻尾振ってるよ〜ご主人様ぁ」
背後からあまり面白くなさそうな声を出し総司が斎藤の髪を何度も左右に揺らした。
「ヤメロ」
総司を嗜めつつも斎藤は何処か上の空だ。
「総司」
「ん?」
好きな人と同じ髪型にして褒められるというのは案外――
(嬉しい、かもしれない)
「感謝する」
去っていく土方の後ろ姿を見つめながら、斎藤は自分でも意外すぎる言葉を漏らしたのだった。