光色・7





「ただいま」

   物静かに一言告げた混じり気ないブロンドの髪の青年は、ダイナーのタイルの床を堅い靴で叩きつつ 店に入って来た。
   軽くはないが穏やかなそのリズム。近付く音。聞きながら、デンゼルの目はその人から離れ なくなった。  
  大きく息を吸い込む時のように小さな口が開いていく。
(…………テレビに出てる人みたいだ)

   デンゼルの語彙がもう少し多ければ彼を“洗練された大人”とでも形容しただろう。
   閉まっていく扉の前で青年が前髪に隠された俯き顔をゆっくりと上げた時、
   服に付いた小さな金具の揺れる金属的な音と靴音のみを響かせ歩く時、
   その所作の一つ一つが何か――テレビの中の人のように洗練してデンゼルの目に映った。
   それはデンゼルの見たことの無い人だった。
   マリンの描いた似顔絵を別とするならばデンゼルの記憶に確かに彼の顔は無い。
   だがそれだけでなく、青年はこれまでデンゼルの周囲にいた誰とも、違って見えた。

「揉め事か?」
   よく通る青年の声が、肩を掴み掴まれたままの男達に向けて放たれる。
   実際には、彼らでなく彼らの向こう側にいるティファへ。
「解決できる問題よ」
  ティファはにっこりした。
「あなたの依頼人になりそうなの」
「へぇ」
   “解決できる問題”とやらの横を通りほんの僅かに首を傾げて青年は彼らを一瞥する。
   自分とあまり年の変わらない男と中年の男。一時停止したようにこちらを見ている訝しげな顔。 ……性質の悪い類ではなさそうだ。
  クラウドの視線はすぐに別の所に注がれた。
  カウンターでじっとしているデンゼル。正確には彼の額に。
「大丈夫か?」
   え?とデンゼルは訊き返した。
   見たことが無いほど蒼い目がそっと、今度はデンゼル自身を真っ直ぐ見て問い掛ける。
「額、痛むか?」
   男の人は気遣うような顔をしている。
   金の髪で黒っぽい服を着たムスっとした顔の人だ。でもその眉は滑らかで穏やかな曲線を描き、 怒っている様子など微塵も無く。
   ティファがさっき彼に対し「クラウド」と呼んだ。
   マリンが絵に描いた人、この人が、『クラウド』――。

「……だいじょう…ぶ」
   喉につっかえそうになる声をデンゼルが首を振って何とか出した。
   声が出にくいのは緊張からだろうか。

   クラウドはもう一度少年の前髪の隙間に覗く包帯を見つめて窺う。 マリンがそれを目で追いながら、「熱も今は出てないの」と説明した。
   クラウドはマリンに微笑むと、それから店にいる男達に振り向いた。
   彼らはぼさりと立ち尽くし、喧嘩を始めるタイミングを失ったかのように互いに相手の服を掴む腕を 緩めてしまっている。 恐らく無意識に。
   理性の無い人間ならここで誰かが店に入って来てもお構いなしに暴れ始めていただろう。
   だから、一見して深刻な荒い揉め事ではなさそうだとクラウドには分かっていた。

「で、どっちだって?」
「茶色の髪のお客さん」
   ティファは手の平を上に向けてすっとその客を指す。彼が“依頼人”。 その時、あることに気付いた。
「?」
   クラウドが片手に持っている物だ。
  小脇に抱えた旅用のマントの下に何かが見える。 垂れ下がった布の間から覗くのは、……箱?
「クラウド、何持ってるの?」
   彼が普段持ち歩くのは旅の必需品ばかり、つまり愛用の大剣とゴーグルとバイクだけ。
   あとは勿論仕事で請けた荷物と、仕事の移動距離に応じてマントを持つぐらいだ。 そして帰ってくる時は大抵手ぶら、 たまにティファが頼んだ野菜を手にしているのだが……。
「ああ、これか?」
   思い出したようにクラウドは左手を添えマントを持ち替えると、自分の右手の荷物を軽く持ち上げ て見せた。
   それは只の箱ではなかった。
   びりびりに裂けた包装紙を纏い、砂で汚れ拉げた箱。
   所々切れた紐がかろうじて結ばれている。 箱の中身が見えていないのが奇跡的なくらいだが、牙を立てたような二つの穴が見えた。
「帰り際にガードハウンドがこれに集ってるのを見つけたんだ。そのままにしておくのはどうかと 思って持ってきたんだが…… 誰かの落し物だよな?」
   少し言いにくそうにクラウドが説明した。
   彼のことだ、もしかしたら落し物を拾って持ってきたことに何か後ろめたさでも感じていたりする のだろうか?
  モンスターの巣の中に落ちていた物ならば落とし主はさぞ拾った人間に感謝する だろうに。 勝手に持って来たのはどうだろうとか、外聞など気にする必要は無い筈なのに。
   クラウドはほんとにそういうところマジメなんだから。ティファは可笑しそうに独りごち、そして 気付いた。
(落し物?)
   確か此処で起きた喧嘩の原因もそんな話だった。
   ガードハウンドの群れに荷物を奪われ、それを知った依頼人が憤慨したという話。
「っ!? それ!!」
   ティファの頭に過ぎった思考を肯定するかのように、茶髪の男が唐突に大声を出した。
  彼は いつの間にか髭の運び屋よりクラウドに注意を奪われ、ティファに釣られてクラウドの手元を目で 追っていたのだ。
   見れば、彼はクラウドの手の中の物に釘付けになっている。
「……まさかあなたの?」
「俺の荷物だ!」
   男は屈み込みクラウドの手から荷物を奪い取る勢いで拉げた箱にしがみ付きながら、大きく頷 いてティファに答えた。
「そうなのか?」
   クラウドもまた箱を調べる男を好きにさせながら驚いた。
   自分の拾ってきた落し物を店にでも置いて落とし主を探してもらうつもりだったから、この幸運 な偶然には意外さを隠せない。
「ヒデェなコレ……。でも良かった、中身は何とか無事だろうな……?」
   しかし最も幸運なのはこの客かもしれない。
   箱に開いた穴に目を当ててみたり、 金属でも入っているのか箱をガチャガチャ振ってみたりして確かめる男の呟きを聞きながらティフ ァは思い、冗談交じりにクラウドに言った。
「もう、依頼を受ける前に見つけて持って来ちゃったら彼に紹介できないじゃない」
   茶髪の男ははっとして顔を上げた。
「あんたの言ってた運び屋ってこの人か?」
「そう。クラウドよ」
「そっかあんたが………」
   背を起こしクラウドと荷物を何度か見比べてから
「荷物、拾ってくれて助かった。サンキューな。 えーと……、俺はマーク。
この男に荷物を届けるよう依頼したんだが、失くされて困ってたんだ」
   丁寧に言葉を選ぶように続けながら、マークと名乗った若者はぎろりと髭の男を睨んだ。
   しかしその表情からはさっきよりも険が消えて見える。
   荷物が見つかった幸運に絆され、少々冷静になったのだろう。 拍子抜けしたのかもしれないし、若者は頭を冷やせば分別があった。
   一方、火種となった件の運び屋はただただ目を丸くしていた。
「驚いたな」無精髭の運び屋の男は言う。「あんた、ヤツらからどうやってそれを取り戻したんだ?」
「……散らした」
   クラウドが軽く肩を竦め答えてみせると、男はクラウドの全身に上から下までざっと目を走らせ、 最後にクラウドの蒼い双眼に目を留めた。
「……なるほどな」
   納得したように一度だけ男は呟いた。
   ――彼はその眼を知っていた。
   その眼を持つ者ならば、血に飢えた獣の群れを彼曰く“散らす”など造作も無いことも。

(何がなるほどなんだろう?)
   デンゼルは疑問に思ったが、今その答えを教えてくれる人はいなそうだった。
「とにかく、荷物が見つかって良かった。俺だって失くしたまんまじゃ心苦しい からなぁ……。
ずたずただが中身は無事みたいだし、 この兄ちゃんならきっとあんたの依頼も叶えてくれるだろう」
   髭を撫でながらクラウドの顔をちらりと見つつそう言うと、運び屋の男が依頼人マークに頭を 下げた。
「本当に悪かったな」
「……チッ」
   マークは不貞腐れたような顔をしたがもう何も言わなかった。
   そもそも怒りの根幹は運び屋が荷物を失くしそれを取りに行かないことに向けられていたのだ。 それが突然幸運が飛び込む形で見つかって、怒気が吹っ飛ぶ程 喜んでいるところに真摯に謝られては、もうどうしようもない。毒気を抜かれたという奴だ。 尤も、抜いたのはこの壮年の男でなく幸運を 運んでくれた金髪の男だが。
   頭の中だけでマークは言い訳のように冷静になる為の文句を並べ立て、その後、不運(まさに文字 通りだ)をくれた運び屋が駄目押しのようにもう一度謝罪の言葉を残し 店から出て行くのも引き止めることはなかった。
  そっぽを向いて舌打ちをするだ けが彼の最小限の怒りの表れだった。

「もうあの人行かせちゃっていいの?」
   ティファがマークに確認するように尋ねると、「まぁなぁ」と彼はワシャワシャ頭を掻きぼやく ように呟いた。
「本当はこんな世の中だから、皆自分達のことで精一杯なんだよなー……」
   あの運び屋が置いて行ったテーブル上の紙幣をくしゃりと握り自嘲気味な笑みを浮かべる。
「俺があいつに払った報酬もたいしたことなかった。
だから、まぁ仕方ないんだよな、きっと。……いい加減な仕事されたってさ」
「それは…………」
   ティファは眉を顰めた。
   マークの言い方は聞きようによっては投げ遣りな感じがする。
   “こんな世の中だから”
   ティファはこれまで何度もその言葉を聞いた。大抵は後に続くのはネガティブな言葉だ。 『諦めるしかない』とか 『仕方ない』とか。……あまり良い兆候ではない。
   だが、マークはあーあと吐き出すような溜息を吐くと気持ちを切り替える ようにわざと明るい声を出した。
「悪いのはぜってーアイツ! けど、俺も奴の実績知らねーのに安易に期待しすぎたっていうか、な。 バカだったわけよ。
なんてまーこんな風に言えるのは荷物が無事戻ってきたからなんだけど。あんたには、騒いで悪 かったな」
   ティファに謝るとマークはくるりとクラウドに向き直った。
「荷物ほんとに有難うな。お礼と言っちゃなんだが、酒でも奢らせてくれないか?」
「依頼の話か?」
   クラウドが意を得た様子で訊くと、男は苦笑して頬を掻いた。
「ああ。この荷物を届ける依頼をあんたに受けてもらいたいんだ。あんたなら腕は確かだって分 かったし、頼むよ」
   でもちゃんと酒は奢らせてくれよ、すげー感謝してるんだ、と言い連ねるマーク。
「分かった、少し待っててくれ」
   クラウドはマークの快活な声に僅かに表情を和らげながら、一度二階に行って荷物を置いてくる、 と階段に向かおうとした。

   その瞬間、小さな悲鳴。
   少年の小さな呻きをクラウドは聞いた。

   傷口を鋭い爪で引っ掻かれたような熱い痛みがデンゼルの額に走ったのだ。
   悲痛な呻き声と共に体を丸めた少年の背に、クラウドは咄嗟に手を伸ばしていた。
「デンゼル!?」
   マリンが甲高い声で叫ぶ。
「へ……き……」
   デンゼルは傷を押さえながら必死に声を出した。
(痛い、いたい)
   焼けるような痛みは抉るように襲う。
  それはずきずきと脈打つ激痛だった。

「悪い。依頼の話はティファにしておいてくれるか」
「へ? あ、ああ……」
   店にいた子供の突然の異変に驚き固まっていたマークに口早に告げると
「ティファ、頼む」
   彼女に後を任せクラウドはデンゼルを素早く抱き上げた。
   デンゼルがその時感じたのは既視感に近い。
(大きくてあったかい手……前にも……)

   そうだ、

   ―――――――教会前、で?









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