ダイナー・セブンスヘブンが最も賑わうのは夜六時を過ぎてから。
というのはこの店の常連だけでなく、店の看板娘を自負する小さな少女も知らない筈はない。
日の暮れるにはまだ早い時分、マリンは顔を上げ壁掛け時計を見た。時刻は四時。
(今ならデンゼル疲れないかな)
今の時間ならまだ客も多くないし、店のテーブルも空いているだろう。
デンゼルは今朝から熱が下がって体調が安定している為か、マリンの目に些か退屈そうに見える。
思えばこれまで熱を出して一日の大半をベッドで過ごしていたデンゼルだ。まだ此処の一階に
も行ったことがないし、
今日午前中から大事を取って休んでいたのだから、少し気晴らしになることがあった方がい
いのかもしれない。
「ねえデンゼル、一階に行かない?」
マリンが声を掛けた。
「一階?」
「そう、お店。いろんな人が来るから楽しいよ」
「でも……迷惑じゃないかな」
そう言ったもののデンゼルも暇を感じていたし、ティファから店のことを聞いた時から少し興
味もあった。
「わたしもよくお店にいるから大丈夫。今はすいてるし、お客さんも優しいよ」
こんでる時はわたしも手伝ってるの!マリンの得意げな言葉にデンゼルは意外そうな顔をする。
「そうなの?」
「うん! それにね、多分そろそろクラウドが帰ってくると思うんだ。デンゼルも一緒に下で
待とうよ」
――今日はクラウドが帰ってくる日。
そしてダイナー・セブンスヘブンにデンゼルは初めて足を踏み入れた。
デンゼルが泊まっている部屋の前にある短い階段を下りた所から、オフィスのような部屋を右手に、
下へと続く階段を下りると
そのダイナーはあった。
マリンの後に続き訪れたその場所でまずデンゼルの目に入ってきたのは、光沢のある白いカウンター
とその囲いの内側に立つ
ティファの姿だった。
ティファは前に座っている中年の男女二人と談笑していて、男女の隣にはスチールパイプの丸椅
子が数個並んでいる。
カウンターの向こうの広々した空間には、ベージュのテーブルと黒く四角いゆったりしたソファが置
いてあり、
窓際から二つ目の席に三十代後半くらいの男性がだらしなく腰掛けて新聞を広げている。
白い壁にはいくつも飾られた写真。
エッジらしく配管がむき出しの天井にはシンプルなスポットライトが幾つか付いていて、ファン
が音を立てずにくるくると回っていた。
デンゼルは興味津々に店内を見回し、それからマリンと共に階段に近い側のカウンター席に着いた。
ティファが「いつもの?」とカウンター越しに話しかけてくる。
「うん、いつものください」
マリンがちょっと気取って言った。
デンゼルには何のことか分からなかったが、ティファは心得た様子で冷蔵庫から瓶を取り出すと二
個のグラスにオレンジ色の液体を注いだ。
「はい、いつもの」
デンゼルとマリンの前にグラスが置かれる。
いつもの?とデンゼルは首を傾げながら訊いた。
「オレンジジュース?」
口を付けると、さっぱりとした柑橘の味がした。
「うん。あのね、お店にたくさん来ていつもお気に入りの飲み物を飲むお客さんは、それを頼む
とき『いつもの』って言うのよ」
「マリンの最近の口癖なのよね」
ティファが付け足すと、カウンターの客もマリン達を見て頬を緩めた。
「マリンちゃんこんにちは」
「こんにちは」
おっとりと微笑めばぺこりとお辞儀をして挨拶する愛らしい少女に笑みを深め、女性客は少女の
隣に座るデンゼルにも視線を移した。
「お友達?」
「うん! デンゼルっていうの」
「……こんにちは」
デンゼルは控えめに挨拶をしたが、その様子を人見知りだと捉えた女性はやはり微笑ましそう
にその小さな男の子を見つめていた。
マリンは男性客の方とも物怖じせず話している。
自分より小さいのにお客に対し随分慣れた様子で店に溶け込んでいるマリンを見て、デンゼルは
感心した。
店に客以外の立場でいるという状況はデンゼルにはまだ慣れないのだ。
(でもなんか、面白いな)
居心地の悪さは感じても初めての経験には心が弾む。退屈さは感じなかった。
それから少し後、夫婦の客が席を立った。
彼らがティファ達に挨拶して店を出るのを見送りながら、デンゼルがまたグラスを取り傾ける。
中の氷がガラスの壁にぶつかり軽い音を立てた。
からん。
店の扉に吊された鐘が同じ音を鳴らしながら揺れて、一人の客が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
ティファは客を見た。
茶色の髪の若い男性。
やや苛付いたような渋面をしている。男はカウンター席に着こうと歩み寄ってきた。
「キツイ酒あるか?」
「ええ」
『いつもの』じゃないということは初めて来る客なのだろうか?
浮かない顔でティファと話す男の顔をぼんやり眺めながら、デンゼルはどうでもいいことを思った。
男は椅子に腰掛けようと体の角度を変え、ふと、テーブル席へと目をやる。
と、突然「あ、お前!」と何かに気付いたように声を上げた。
(何かしら?)
このお酒はどうかと提案しようとしていたティファが視線をそちらに送るのと、男がそこにつ
かつかと近付くのは同時だった。
「こんなとこで油売ってたのかよっ」
男が向かったのは黒いソファに座り新聞を広げている無精髭の客の所だ。
若者の大きな声に、なんだぁ?と緩慢に新聞から顔を上げた髭の男は、目の前に来た顔に見覚えが
あったのか一瞬だけ
驚きの表情を浮かべる。
だがすぐにそれは苦虫を噛み潰したようなものに変わった。
「……お前さんかい」
髭の男はまた視線を落とし新聞を畳み始めた。
「お前さんかいじゃないっつうの」
若者が呆れたように溜息を吐いて男を睨んだ。
「今日の午前中に頼むって俺は言ったよな? さっき電話で聞いたら、まだ荷物が届いてないっ
て言われたんだ。
一体どうなってんだ?」
「あー、いやその、な……」
男は失敗をした子供がそうするようにじれったく言い渋った。
「何だよ、金はもう払ったじゃねぇか」
「いや、そういうことじゃなくてな、」
「ったく、連絡はしねー携帯にも出ねーで依頼放っぽって酒かよ。いい加減な野郎だな。
早く配達に行けよ」
「まぁ、これには深い訳がだな」
「どんな訳だって」
腕を組んで不機嫌に早口に文句を言う若い男。対する中年の男は気まずそうにまだ口篭っている。
そんな光景を前に、デンゼルはカウンター席の椅子に腰掛けながら戸惑っていた。
(何だろう、この人たち)
突然始まった口論のようなやり取り。そう殺伐としたものではないので怖くはなかったが、
さっきまで静かだった店の中で騒ぐ声が
勝手に耳から入って来るものの、何の話をしているのかよく分からない。
少年はただ呆気にとられて二人の様子を見守っていたが、しかしティファには事情が少し分かっ
てきていた。
この二人はどうやら運び屋と依頼人の関係らしい。その契約上のトラブルのようだ。
彼女はいつもなら店の雰囲気を壊す騒動はさっさと治めるべく動くのだが、今回はまだ動こうと
しなかった。
勿論、流血沙汰になるような雰囲気に変われば勝手は決して許さないつもりで。
一同が見守る中、漸く新聞を畳み終わった髭の男は手持ち無沙汰に手を彷徨わせた。
腰を上げ、一つ切りの良い大きな溜息を吐く。
それからパンッと大きな音を立てて両手を合わせ頭を下げた。
「すまねぇ!」
ガバリとでも効果音の付きそうな下げ方である。
「実は預かった荷物を失くしちまったんだ!」
「ハァ!?」
若者が一テンポ遅れ目を丸くして声を上げた。
「いや、落とした!」
運び屋が勢いのまま言い直した。
「あぁっ?」
「じゃなくてだな、……取られた、だな」更に言い直す運び屋。
「取られたって誰に」
信じられないという声で唸る若者に、中年の男は顎に生えた硬そうな短毛を取り繕うように撫で
てから、言った。
「モンスターだよ。でかい化け犬さ。
俺はちゃんと今日の昼間配達に行ったんだ。
だがその途中モンスターに追っかけられて、
逃げる時に荷物を落としちまった。拾う余裕なんざ無かったんだ」
若者は予想外の言葉に唖然とした。
(モンスター……)
デンゼルは心の中で呟いた。
ルヴィの家で彼女に与えられたモンスター図鑑を思い出したのだ。
見たことも無い生き物の写真がたくさん載った、あるいは描かれたあの本。
その中には犬のような形をしたものもいて、デンゼルはへぇと思いながらそれを眺めたものだ。
名前は覚えていないが、化け犬とはそれのことだろうか?
デンゼルの疑問に答えるかのようにティファが言った。
「化け犬って、ガードハウンドのこと?」
「ああ、確かそれだ。うじゃうじゃいてなぁ……。一頭ならなんとかなったんだが」
髭の運び屋は顎を掻いた。申し訳ないとは思っているようだ。
「お前、『俺は軍隊上がりだから強い』って言ってたじゃねぇか」
若者が額を押さえながらさっきよりも鋭く男を睨む。
「取り返して来いよ!」
「冗談じゃない」間髪入れず男は答えた。
「悪いとは思ってる。こっちから連絡しなかったこともな、まぁなんつうか、言いにくかったんだ。
だが俺は別に嘘を吐いたわけじゃない、ただ化け犬の巣に飛び込む程強く無いだけでな。
今回の奴らの数の多さは計算外だったしな……。
金は返す。すまないが、諦めるかボディガード雇って自分で探しに行くかしてくれ」
テーブルの上に数枚の紙幣――それほど多くなかった――を置いて、話は終わったとばかりに男は
店を出て行こうと足を踏み出した。
「ちょ、待てッ」
腹を立てた男が開き直って逃げ去ろうとする男を逃がすまいと引き止める。
それまでは割と殊勝な態度だったような気もする肩を掴まれた男の表情も険しくなりそうだ。
デンゼルが息を呑む。ティファは二人を止めるべく行動しようとした。
キィッ
聞き慣れたブレーキ音が響いたのはその時だ。
店の脇に彼がいつも止めるバイク。
その大きさから近付くエンジン音が聞こえる時もあるのだが、今日は店が騒がしい所為か
気付かなかった。
普段なら兎のように敏感に反応するマリンも、喧騒に気を取られている。
ティファは動こうとしていた足を止め、苛立つ男達に声を張り上げた。
「二人とも、ここで喧嘩は止めてもらうわよ」
無礼にも「邪魔するな」とばかりにこの店の女主人にガンをくれた男達だが、ティファは構わず
不運にも荷物を失くされた依頼人の男の気
を鎮めるように言った。
「腕の立つ運び屋を紹介してあげる。きっとあなたの荷物を見つけてくれるわ」
カラン。店の扉が開いた。
「おかえり、クラウド」
入ってきたのは金髪の青年だった。
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