monstre・1





  エスタ中心部大統領官邸前広場。
  夜でも明るいこの街の光が作り出す死角、闇の中に、今漆黒の影がゆらりと現れた。
  完全に気配を断って音も無く降って来た上からの潜入者。
  その夜いつもの他愛無い雑談に興じていた二人のエスタ兵は、刹那、何が起きたかを知ることも無く絶命する。
  影が彼らの頚椎に手刀を叩き込み破壊したのだ。骨が砕ける音だけが夜空に不気味に響いた。
  まるで蝋燭の火を吹き消すかのような軽さで命を奪ったその男は、しかし耳に障ったその音に僅かに眉を顰めていた。
  ――別に殺すつもりはなかった。
  強すぎる力は抑えていても、こうして時折失敗する。ただ少し、加減を誤っただけのこと。
  改めて普通の人間の脆弱さを感じつつ、今夜は幾らか気分が高揚しているようだ、と影は脈打つ己の胸を拳で押さえた。
  これ以上、血と闘争を求める本能に呑まれはしまいと心に決めている。
  それが、クラウドがこの仕事を選んだ訳だった。
  自分は裏で“雲”などと呼ばれているらしい。
  名乗った覚えの無い自分の名とその単語の示す意味が同義なのは只のよく出来た偶然に過ぎないが、同じクモなら寧ろ“蜘蛛”の方が 似合いだとクラウドは嘲っていた。
  ―――雲などと人畜無害な単語は自分に相応しくない。雲なら、誰も殺さない。

  死と破壊と血を求める異形――ジェノバの細胞をその身に受けてからクラウドは、数ヶ月に一度、バイオリズムによって激しい破壊衝動 に襲われる。
  人が摂食行動を取らずにはいられないように、その衝動を堪えれば堪える程欲求が強まった。
  初めの頃はただ耐えていた。
  壊したい殺したいと騒ぐ全身の願望が徐々に渇望へと変わっていくことに気付きながら、目を逸らし耳を塞ぎひたすらに耐える日々が 続いた。それが正しい選択でなかったことに気付いたのはある日、血溜まりの中でぼんやりと目を覚ました時だった。
  夥しい血と無数の無残な死体、その上に立ち竦む自分。剣も手も全身が、べっとりと血を吸っていた。
  何の恨みも、何の関係も無かった人々を無意識に殺したのだと気付いた。
  いや、本当は恐らく、その残虐な行いをしている間、歓喜している自分がいた。
  魂と体が切り離されたように、ジェノバの人形となったクラウドが死の中で踊り狂うのを、ジェノバに支配されたクラウドの精神が 嘲笑い喜んでいたのだ。
  自分はとっくに狂ってしまっている。
  そう気付いてしまえば却って楽になった。
  それ以上狂わなければいいのだ。真っ暗な絶望の中でクラウドはそう思う。
  押し寄せる欲求が軽い内にそれに耐えることなく、その場その場で処理していけばいい。
  積もり積もった欲求があのように爆発するより、余程良い。
  常に戦闘に身を置けるとはいえ軍隊には属したくなかった。一人でいることが許されない環境では大切な人間が出来る可能性も有る。
  そういう人を狂った自分の手に掛けてしまうことは怖かった。
  そこで選んだのが暗殺者という道。
  どうせ殺さずにいられないなら殺す人間は自分で選びたかった。
  標的が皆一般人ではないことが幾らか気を楽にし、標的の周囲を固める護衛者もまたそれなりに腕が立つ為最小限の犠牲で満足できた。
  この仕事はクラウドに合っていた。
  そうして続ける内に、殺す必要の無い、言い換えれば態々殺す気にならない人間は殺さずにいられるようになった。
  欲求を解消すると共に、可能な限り他者の死を遠ざけることが出来るようになった。
  最低限の死で精神的安定を保てるようになったことは、体内のジェノバと上手く付き合えるようになったことに等しい。
  クラウドは、自分にとって暗殺は仕事などでなく実際は本能を満足させる為の狩りに過ぎないことを、知っていた。
  それでも、これ以上狂わなければいい。ジェノバに呑まれなければいい。
  半身が食われていても、まだ半身はクラウドとして生きている。
  だから無理にでも思い込む。
  これは仕事にすぎない、と。
(金を受け取り標的を殺す、単純で薄汚れた仕事)
  吐き捨てるように己に言い聞かせ、普段よりやや昂ぶった心拍数を元に戻すと、クラウドは再び何事も無かったように移動を続けた。
  影から影へと身を潜め、強化スーツに身を包んだエスタ兵達を音も無く昏倒させながら。
  初めの二人は失敗したがもうミスはしまい。
  彼らのようなお飾りを殺す必要は無い。一瞬で消し去れる者達への関心は薄かった。
(それよりも……)
  それよりも、エスタには今SeeDというまだ十代の精鋭部隊がやって来ているらしい。
  彼らは大統領暗殺の情報を何処かから入手し、エスタ大統領直々にその警護の任を与えられたとか。
  何人張り付いているかは知らないものの、官邸内には彼らの警戒網が張り巡らされていることだろう。
  真正面から行けば確実に命のやり取りになる。
  ―――もう何度、こんな葛藤と戦っただろうか。
  血がざわめくのを感じながら、それでもクラウドは執拗に自分に言い聞かせた。
(……犠牲は最小限だ)
  闇に身を溶け込ませながら、SeeDとの遭遇の機会を出来るだけ減らす道を選ぶことにする。
  といっても向こうも穴の無い網を張っているつもりだろうけれど。
  目指すは眼前の広大な大統領官邸。
  その最上階に、クラウドの標的はいる。