光色・2





「大丈夫?」

   小さな女の子が間近で心配そうに見詰めている。
「おでこ、痛む?」
   女の子の隣から黒髪の女性が顔を覗きこんできた。
   デンゼルは額に手をやろうと右手を動かす。
  その瞬間、手に感じていた人の温もりはすう っと離れていった。
   ぼうっとした意識も視界も、急激にはっきりと開ける。

(なんだ……)
   デンゼルは胸の中が沈み込むような気持ちになった。
   ――――さっきこの手を握ってくれたのはこの人だったのか、と。
   女性はデンゼルが無意識にゆらりと伸ばした右手を取り、そして目を覚ましたデンゼル が額を触ろうとした為自分の手を外しただけ。
   それは母でも父でもない人の手で、皆の待っている場所にデンゼルを連れに来た手では なかったのだ。
   デンゼルは目を伏せてぎゅっと唇を引き結んだ。
   ゆらゆらする腕を上げて目の上に手を当てる。
   そこには布が当てられているようで、その感触に気付きながら額から手を離した。
   薄く開けた目でそっと手の平を見る。
   あの黒いものは付いていなかった。
   でも、とデンゼルは思う。
   布のお陰で手は黒くならないけれど、布の中はきっと真っ黒に滲んでいるのだ。
   皆そうだった。変えても変えても、包帯の中は真っ黒になっていた。
   これは死んでしまった人達と同じ病気なのだ。だから
(僕も多分、死ぬんだろう)

「どうしたの? ……痛い?」
   目を瞑って黙りこんでしまったデンゼルに、女性がもう一度聞いた。
   デンゼルはゆっくりと目を開き首を振った。痛くは、なかった。
  その返事にホッとしたような顔をした女性が、良かった、と笑う。
  体を起こしてみると、女性は水差しからコップに水を注ぎ渡してくれた。
   デンゼルは小さく礼を言ってからそれを受け取って一口飲んだ。
   喉をひんやりと水が通過していく。
   唇も喉も潤って、ほんの少しだけ気持ちが晴れた気がした。
「ここはエッジにある私のお店でね、セブンスヘブンていうの。君だよね、 昨日携帯で電話してきたの」
(……昨日?)
   言われたことが咄嗟に分からず、デンゼルは窓の外を見た。
   明るい。
「今ね、お昼の十二時だよ」
   何時頃だろうと考えていたデンゼルに女の子がはきはきと言う。
   外の眩しい光を目に受けながら、デンゼルは気を失う前のことを思い出して自分が一晩ここ に泊まったことを知った。
  薄らと遅れてから、どうやらここにいる女性が昨日無断で借りた電話で自分が話した相手らしい、ということも 理解できた。
   話した相手の声はよく覚えていなかったけれど、そういえばこういう感じだったかもしれない。
   昨日誰かの電話で話した見知らぬ人と、今こうして向き合って話していることを、デンゼルは漠然と不思議に思った。
(あ……)
   女性をぼんやりと眺めていたら、携帯の無断使用を謝っていないことにふと気付いた。
   デンゼルは急ぎ謝ろうとして、……ところが少し迷ってしまった。
(この人じゃなく持ち主に謝るべきなのかもしれない)
   今言ったら変だろうか、持ち主がいる時に二人に謝った方がいいのかもしれないと迷い、口を開きかけたまま目をきょろきょろと 落ち着きなく彷徨わせる。
   そんなデンゼルの様子を見て、混乱していると思ったらしい。女性がやんわりと言った。
「あの携帯の持ち主、クラウドって人でね。ここに住んでるの。君がバイクの側に倒れてたのを見つけて、ここに連れてきたのよ」
(そうだ、あの黒いバイク)
   あれを見て、近寄ってみたら携帯電話があって、誰でもいいから繋がりたくて、電話を掛けたら女の人が出て、…… そこで気を失った。
   デンゼルは思い出す。
  気を失っていく時だと思う、暗闇に見た金色。幻の中で見たものが何だったのか。

「君、どうしてあの教会にいたの? ……誰か一緒に暮らしてる人は?」
  女性が遠慮がちに尋ねてきた言葉に、デンゼルは考え込むようにして俯いていた顔を上げた。
   ウォームへーゼルの目の奥をじっと見つめる。
   少ししてから、首を振って答えた。
「……家族はいない」
   両親もルヴィも仲間も友達も、もう誰もデンゼルの傍にいなかった。

   ぼくはひとりだ。
   小さな唇が微かな形だけで呟いた。