一時間半後、マリンがデンゼルを起こしに来た。
目を擦り、起きて辛くないかと聞かれ大丈夫と答えたデンゼルはマリンに手を掴まれる。
そのまま引かれるようにして
隣の部屋に案内された。
部屋に入るとすぐに香ばしいチーズの香りが漂ってきて、デンゼルは無意識に鼻を鳴らす。
その部屋の真ん中には四人掛けの木製のテーブルがあり、テーブルの中央に置かれたガラスの花瓶にピンクの
花が咲き、それを取り囲むように三人分の料理が置かれていた。
真っ白のライス、狐色に薄く焦げ目の付いたグラタン、ほんのり黄色のスープ、新鮮な緑のサラダ。
豪勢な量ではなかったが、デンゼルの目には鮮やかだった。
昔母が用意してくれていたようなその光景があまりに眩しく、デンゼルは立ち尽くしたまま息を呑む。
両親がいた頃は当たり前だった光景でも、それは彼にとって久しく見ていないものだった。
入口で呆けたように立ち止まってしまったデンゼルをマリンがまた引っ張って椅子に座らせたところで、
ティファが入って来た。
「おはよう。少し顔色が良くなったね」
本当ならおはようと言われる時刻ではなかった。どことなく気まずそうに、デンゼルは俯きがちに指を弄び
ながら朝の挨拶を返した。
ティファは持ってきた紅茶をデンゼルの前のカップにゆっくりと注ぐ。とぽとぽ水音と共に湯気が立ち昇り、カップを覗き込んだ
デンゼルの顔を温めた。
ティファが続けてマリンと自分のカップに注ぎ終えると、マリンがシュガーポットとクリーマー
のトレーをデンゼルの方に寄せた。
「どうぞ」
隣に座る自分より小さな女の子の大人びた口調に少し気後れしながら、デンゼルはありがとうとお礼を言って砂糖を
一杯カップに入れる。デンゼルはいつも一杯の砂糖と、紅茶が白茶色になるまでミルクを入れて飲むのが好きだった。
客人の少年が砂糖を溶かした紅茶にミルクを注ぎ終えると、マリンはトレーを受け取り自分のカップに砂糖を
一杯、ミルクをたくさん入れた。
あ、同じだとデンゼルが思いながら少女を見ていると、彼女はティファのカップには何も入れることなくトレーを
元の場所に戻してしまった。
「糖分は控えてるんだって」
前ほど動かなくなったから気になってダイエットしてるの。
聞いてもいないのにマリンがこっそりとデンゼルに耳打ちする。
ダイエットと聞いても少年の目にティファは細く綺麗な女の人に見えたので、デンゼルは不思議そうにしていた。
「もう、マリン」
ちゃんと聞いていたらしいティファがマリンの前で腰に手を当ててみせると、マリンは首を引っ込めて可愛らしく
笑った。
何だか姉妹みたいだ。デンゼルは思ったが、ティファ達の関係を訊くことはなかった。
「どうぞ召し上がって。食欲無かったら残してもいいから」
ティファがデンゼルに食事を勧め、自身も席に着いた。
ティファの声に合わせてマリンが両手を合わせる。
「いただきます」
それを見て、デンゼルも同じようにした。
「いただきます」
デンゼルは匂いに引かれ、まずグラタンにふうっと息を吹きかけ一口食べた。
カリッと表面を砕くとまろやかな中身が舌の上に蕩け出て口内に広がっていく。
「美味しい……」
素直な感想が思わず口から零れた。
食べるのは久し振りだったけれど、グラタンの味をデンゼルは覚えていた。
ティファは料理が上手というマリンの言葉は本当なんだとデンゼルがすぐに思える程、それは美味しい
グラタンだった。
「そう? 良かった」
ティファが嬉しそうに言い、マリンは母親を褒められた子供のようににっこりとした。
さっきまで食欲が無かった筈なのに、年若い少年の食欲は敏感に刺激されたらしい。徐々に空腹を
感じ出したが、それでもデンゼルは一度フォークを置いた。ティファの方に顔を向ける。
「あの、額の手当ありがとうございました。あと、ベッド借りちゃって、ご飯も……」
ぎこちないお礼。だが、それは少年がプレートの上に住んでいた頃に両親から教えられ、生活が一変してからも持ち続けている礼儀
だった。ティファは律儀な少年にくすりと頬を緩めながら、「いいのよ、どういたしまして」と答えた。
促されてまたフォークを取ると、今度は手を止めることなく少年は噛み締めるように食事をしていた。
食事中、エッジに初めて来たというデンゼルの為、ティファが簡単に街の様子を教えた。
このセブンスヘブンはティファが多くの人の協力を得て開業した店で、食事と酒を出す店なのだということも
デンゼルは知った。
彼は驚きと感心の目で手元の料理を見つめ、ティファの話に、時に何故か衝撃を受けたような暗い表
情を浮かべることもあったが、相槌を打っていた。
デンゼルもまた、少しだけ自分の話をした。
自分の年齢、ミッドガル出身であること、元は七番街に住んでいたこと。
七番街にいた、と少年の口から出てきた言葉に一瞬だけティファの表情が固まったが、デンゼルは気にしなかった。
プレート落下の悲劇を知らない者はいなかったからだ。
話したことはほんの少しで、デンゼルが何となく口を噤むと、その瞬間何処かで電話が鳴った。
それは静寂を防ぐようなタイミングで、階下から鳴り出したものだった。
「私は下にいるから。食事が終わったらまた体を休めるといいわ。マリン、よろしくね」
マリンがはぁいと頷くと、ティファは席を立ち、空いた食器を持って足早に部屋を出て行った。
……その後も、何度か電話が鳴っていたようだった。
寝室に戻ったデンゼルは窓際から外を見た。
鉄骨が張り巡らされても街の形をした場所。大勢の人の往来。忙しそうに早足で歩く人がいれば、のんびり手を繋いで歩く人々
もいる。
くすんだ灰色の街だったが、汚く恐ろしい場所には見えなかった。
ティファに街のことを聞いた時と同じ暗い表情をして、デンゼルは窓を離れた。
ずっと、エッジに来るのは負けで、探索隊として最後まで残った自分達が勝ちなのだと思っていた。
逃げたら負けとか、どんな場所でも生き抜けることが凄いことなんだとか、それはデンゼルの自分への励ましだった。
大人のように自分で食べ物を稼ぎ苦境を乗り越えていくのは、即ち大きなことを成し遂げることだった。
“ヒーロー”への羨望に近いかもしれない。何でもこなせる強いヒーローへの憧れはどんな少年にもあって、自分も苦難を
乗り越えることが出来ればそういうヒーローになれる、そんな風に思い込まなければ、この小さな子供の心はすぐに
闇に飲み込まれてしまっていたかもしれない。
幸いにも少年には導いてくれる大人がいた。一緒に乗り越えようとする仲間もいた。
目標をもって一緒に進んでくれる人達がいれば、困難に打ち勝つのは容易なことに思え、またそれが楽しくすらあった。
しかしいつまでも続かなかった。リーダー・ガスキンがいなくなった後の探索隊はデンゼルにとって安住の地となり得なかった
のだ。
一人減り二人減り、デンゼルは独りになった。
生き抜く為に自分がスラムにいるのかも分からなくなっていった。
それは8歳の子供が孤独に成し遂げるにはあまりに難しいことで、それに気付かぬ程少年は無知でも鈍感でもなかった。
少年は“勝とう”として、いつの間にか死へと向かおうとしていた。
単純な、しかしそれは幼い意固地な心理でなく、自らが身を置いた場所に必死に縋ろうとした一つの形だったのかも
しれない。
自分が勝っていたわけではないことを、デンゼルは痛切に感じた。
そしてまた、最初から勝ち負けなどなかったのだと思いたかった。
デンゼルは思い出していた。
探索隊から抜けて、エッジに向かった仲間の人達。
彼らはどうしているだろう?
仲間や大人に囲まれて、温かい食事を摂って、笑って過ごしているんだろうか。
(会えるかな?)
ふとそんな風に思ったけれど、デンゼルはすぐに首を振った。
会えたとしても、また探索隊を作るわけじゃない。あのまとまっていた探索隊はもうバラバラで、終わってしまった場所なのだ。
“運命共同体”
探索隊の仲間達が言っていた言葉が、デンゼルの耳の奥に今は虚しく響くのだった。
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